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  • ABOUT Leica | Vol.1「ライカ初のスマートフォンを開発した歴史的背景」 ー フォトグラファー 河田一規

ABOUT Leica|Vol.1

LEITZ PHONE 1 ロゴ

「Leitz Phone 1」に宿るライカらしさについて、ライカに造詣が深いフォトグラファー河田氏が検証。
写真文化を大事に継承するライカカメラと「Leitz Phone 1」について語ります。

ライカ初のスマートフォンを開発した歴史的背景

フォトグラファー

河田一規

LEITZ FACTORY 1940年

【LEITZ FACTORY 1940年】

1940年に撮影されたヘッセン州ウエッツラーにあったエルンスト・ライツ社屋。現在、ライカカメラ社は同じウエッツラーの別の場所にある。

「Leitz Phone 1はライカが全面的に監修した初めてのスマートフォン」と聞いて、「なるほどそうなんだ。ところでライカって何?」という人もいるだろう。カメラや写真が趣味という人ならライカについてすでによくご存じだと思うが、ここでは「ライカって?」という人に向けてごく簡単にライカの歴史を説明しよう。

ライカは正式にはライカカメラ社といい、元々のエルンスト・ライツ社時代を含めて創業約170年を誇るドイツ企業だ。当初は顕微鏡などを作る光学メーカーであったが、1911年に技術者のオスカー・バルナックが入社し、映画撮影用フィルムを流用した小型カメラを提案。そのアイデアは紆余曲折を経て1925年にライカI型(ライツ社のカメラなのでライカと名付けられた)として発売されるわけだが、三脚に乗せて使う大型カメラが主流だった当時、小型軽量ゆえに手持ち撮影が容易で、屋内、外を問わずどんなところでも持ち出して撮影することができるライカは、写真の撮り方を根本的に変える大きな存在となる。特に機動性が要求される報道写真やスナップ撮影では本領を発揮し、プロカメラマンを中心に愛用者を増やしていく。ライカはその後も改良を続け、どんどん進化していくのだが、ライカの快進撃を見た世界中のカメラメーカーからはライカを模倣したカメラが次々と発売される事態になったほど、その存在はインパクトがあった。

また、写真表現に与えた影響も大きく、後に「名作」と評されることになる多くの写真がライカで撮影されていることからも分かるとおり、歴史の貴重な瞬間を記録し続けた代表的なカメラとして、まさに一時代を築いたのだった。

研究室のオスカー・バルナック、1934年

【研究室のオスカー・バルナック、1934年】

エルンスト・ライツ社内でデスクに向かうオスカー・バルナック(1879〜1936年)。35mm映画用フィルムを使った小型カメラのアイデアを提案し、それがライカとして1925年に発売される。今となってはデスクの上にある電話とライカが何となく示唆的に見えてしまう。

というわけで、小型カメラの代名詞的な存在となったライカだが、発案したオスカー・バルナックは小柄で体力もそれほどなかったそうで、だからこそ小型軽量に対するこだわりが強くあったと言われている。こうしたヒストリーを鑑みた上であらためて「Leitz Phone 1」を見ると、ライカがスマートフォンの開発に乗り出したことはもはや必然なのではと思う。気軽に持ち運べて格段にシャッターチャンスに強い小型軽量カメラの代名詞だったライカにとって、それをもっとも現実的に実現可能なスマートフォンはどうしても関わらざるを得ないプロダクトであり、もしかするとオスカー・バルナックにとってもある意味「見果てぬ夢」と言えるかもしれない。

ラーン川の氾濫、1920年

【ラーン川の氾濫、1920年】

1920年、ウエッツラーを流れるラーン川が氾濫しときにオスカー・バルナック自らが撮影した写真。機動性に優れる小型カメラならではの作品だ。この他にも報道やスナップ分野では名作と呼ばれる多くの写真がライカによって撮影されている。

河田一規

河田一規

1961年、横浜市生まれ。小学3年生の頃、父親の二眼レフを持ち出し写真に目覚める。10年間の会社勤めの後、写真家、齋藤康一氏に師事し、4年間の助手生活を経てフリーに。雑誌等の人物撮影、カメラ雑誌での新機種インプレッション記事やハウツー記事の執筆、カメラ教室の講師等を担当している。