Everyday Carry
日々のルーティーンにライカを
ー ジョン・サイパル ー
ジョン・サイパルの “Everyday Carry”
この20年間、ライカMを肩にかけていなかった日は10日もなかったと思う。一日外出するとき、あるいは近所のコンビニに行くときでさえ、玄関を出る前にカメラを手にするのは、靴を履くのと同じくらい自然なことだ。しかし、私のカメラは靴以上のものであり、私の目の延長でもある。
この毎日持ち歩く習慣は、私が大学でアートを学んでいた頃に始まった。2001年春、私は大学の必修科目である写真クラスに入った。今思えばそのタイミングは正しかった。適切な時期に、適切なクラスで、適切な先生(デイブ)と出会えたからだ。うまく説明できないが、私は写真に対してある種の「輝き」を感じた。そんな私に対するデイブからのアドバイスは実にシンプルだった。
「 常にカメラを持ち歩きなさい。毎日、どこにでも持ち歩くこと。」
模範や課題を通してデイブは、カメラは単に創造的な主張をするための道具ではなく、個々の世界を探求するために使用できる装置であることを教えてくれた。この探求の最初の部分は、写真を撮るという行為を通してであり、そして写真をプリントして見たときにさらなる発見がある。
デイブは授業中いつもライカM6を持参していた。彼が写真講評会や講義をしている間も、彼の隣には彼のカメラがあった。当時、私はそれがライカだと知らず、意識していなかった。ただ、私が持っていた1970年代のずっしりとしたクロームメッキの一眼レフカメラと比べると、デイブのカメラは小さくて黒く、気品が溢れていた。そのカメラには斜めの巻き戻しレバー、ボディには赤く丸いロゴがあり、そのデザインは私にとって珍しいものだった。
2001年9月、私は専修大学で1年間の留学生活をスタートさせた。デイブが勧めてくれたように、私はどこへ行くにもカメラを持って行った。またその頃、上野高校の英語クラブをほぼ毎週手伝っていたこともあり、2002年春のある晴れた日に生徒たちが谷中周辺を案内してくれた。谷中の裏道にある質屋の前を通りかかったとき、ショーウィンドウに飾られたカメラが目に留まった。それは小さくて黒く、斜めの巻き戻しレバーと赤く丸いロゴがついていた。
「あれ?これはデイブと同じカメラだ。」
私は首からさげた2台の重い一眼レフカメラに目を落とした。顔を上げると、ショーウィンドウのライカM6が私を呼んでいる気がする。一目惚れ? おかしいかもしれないけど、心がある種の感動を覚えた。きっとライカユーザーなら誰もが感じたことがあるだろう。「これだ!」と。
もちろん当時は学生だったので、ライカM6は経済的に手が出なかった。しかし、私が興味を抱いていた写真は「瞬間瞬間をとらえるスナップショット」であったため、レンジファインダーが欲しいと思っていた。長い話を短くすると、私は一眼レフを1台除いてすべて売り払い、しばらくの間、カップラーメンで生活費をやりくりして、ようやくレンジファインダーとレンズを購入する資金を調達したのである。そのカメラは留学期間中、どこにでも毎日持って行った。
私のライカ・ストーリーは2004年に再び始まる。大学卒業後、私は日本で就職することになり、来日から数ヶ月後、新宿のある店で中古のライカM6TTLを買うことができた。そのカメラもどこへでも持って行った。さらに1年後の2005年秋、私はそれを売って(またカップラーメンの予算で)ファインダー倍率が0.58倍の中古のライカMPシルバークロームを買った。
そのMPもどこへでも持って行った。 実は、今でもどこにでも持っていく。
来年には、このMPを持って20年になるだろう。
このカメラは、数千本のフィルムと数千人の人々、そして何キロメートルの東京の街を見て撮ってきたことだろうか。
それ以来、デイブの厚意によりライカM6クラシック(デイブが教室で持っていたのと同じカメラ)を手に入れ、さらに最近では新しいライカM6を手に入れた。 私はこれらのカメラをまんべんなくローテーションしており、どれを手にするかというルールや理由はない。その日「しっくりくる」方を選ぶだけだ。ライカMPもM6もどれも素晴らしく、馴染みがあるから間違いはない。どれも古い友人のような、古くて履きなれたスニーカーのような感覚だ。いつだって写真を撮りたくなるカメラだ。
これを書きながら、私の写真哲学や撮影方法は学生時代からまったく変わっていないことに気づいた。 私は通常、カメラ1台とレンズ1本、Summicron-M f2/35mm(ASPH.か以前のタイプ)かElmar-M f2.8/50mmしか持っていかない。フィルムはモノクロ(イルフォードHP-5)のみ。コスパのため、私はフィルム30mの「長巻き」を買って、自分でひとつひとつ古いパトローネに入れている。
これはオーストラリアの友人が作ってくれたフィルムケース。蓋は小さな磁石で固定されていて、フィルムが3本入る。一日に3本を超えて撮ることはめったにないが、万が一に備えてバッグの中にフィルムを3本入れておくと安心だ。
これは今年の1月から4月の間に撮ったフィルムで、これから現象する予定。自宅のキッチンでフィルムを現像した後、暗室でネガのコンタクトシートを作る。そのコンタクトシートを参考にしながら、興味のある写真を5x7の小さなプリントで焼く。その中から特に気に入った写真を、11x14のバライタ印画紙にプリントする。
まるで写真サイパル、いや写真サイクルのようで、いつどの時点でも現像したいフィルム、プリントしたいネガ、そして撮影したいフィルムがある。この絶え間ない一貫したプロセスによって、私はいつまでも写真に興味を持ち続けることができる。終わりがないからこそ楽しい。常に何か違うことをしなければならないので、燃え尽きたり飽きたりすることはない。
年に数回、新宿のトーテムポールフォトギャラリーで、私の11x14プリントを展示している。写真展のタイトルを考えるのが苦手なのと、特にこれといったコンセプトもなく撮影することが多いので、毎回同じ「随写」というタイトルを使っている。「随写」とは造語である。きっかけは何年か前に「随筆」について読んでいて、「筆を追う」文体だと説明されているのを見て、「お!私もカメラで同じようなことをやっている!」と閃いたからだ。
ライカMPも M6も 私の友人であり、私にとってライカとは人生の伴侶、教師、美の対象だ。ライカのカメラが作り出す魔法によって、日常生活の一瞬が時代を超えたゼラチン・シルバープリントの美しさに変わっていく。
近所、通勤、海外の旅、いつでもどこでも。私はこれからも毎日ライカと出かけていく。
これは谷中にある質屋の展示窓。22年前の一目惚れスポットをデイブのM6と尋ね歩いてきたワンシーン。
ジョン・サイパル/John SYPAL プロフィール
1979年アメリカ・ネブラスカ州生まれ。2004年に来日し、2005年より写真展を多数開催。2010年にTotem Pole Photo Galleryへ参加。
2015年 写真集「Tokyo Camera Style」Thames & Hudson 刊行
2017年 写真集「随写」Zen Foto Gallery刊行
2022年 写真集「銀園」Zen Foto Gallery刊行
2023年 写真集「Nebraska,The Good Life」ケンズ刊行
https://www.johnsypal.com