松坂屋名古屋店10周年記念 ハービー・山口 トークショー

イベントレポート


ライカ松坂屋名古屋店ではオープン10周年を記念して、現在、ハービー・山口さんの写真展を開催しています。写真展開催にともない、ハービー・山口さんを会場にお呼びしてトークショーを行いました。今回はその内容をご紹介いたします。



ハービー・山口(H) :先ほど、名古屋の駅からタクシーを拾ったのですが、「今日は歩行者天国が多く時間がかかりますよ」と言われてとても心配だったのですが、奇跡的に信号につかまらないで、このトークショーの時間に間に合いました。そこで、運転手さんに「あなたは今日の僕のヒーローですので、写真を撮らせてください」と、一枚のポートレートを撮らせていただきました。

©Herbie Yamaguchi


インタビュアー(I):どんなときにもポートレートのタイミングを逃さない、それこそハービーさんのプロ魂ですね。さすがです。本日は、よろしくお願いいたします。

H:今日のインタビュアーとは付き合いも長く、ずいぶん昔、イギリスから帰ってきてから、当時はまだ日本でライカのスタッフとは繋がりがなかったので、写真工業誌の市川編集長にご紹介いただいたのが最初の出会いでしたよね。それ以来、ずっとお世話になっています。

I:いや、こちらこそ、ライカの代理店だったころから大変長い間お世話になっています。今日のトークショーもよろしくお願いいたします。

H:まずは、ハービーという名前から説明させていただきますね。僕は山梨県と長崎県のハーフなのですが(笑)、この名前は大学時代につけられたニックネームなのです。当時はバンドブームで僕はフルートを担当していまして、ハービー・マンというジャズのフルート奏者が好きだったので、そこから名前をいただきました。バンドメンバーにはジェフ(ジェフ・ベックから)とポール(ポール・マッカートニーから)がいました。それ以来、ずっとハービーという名前を使っています。ちなみにジェフとポールはその後もサラリーマンをしながらバンドを続け、十数年前に大橋のぞみさんが歌ってヒットした「崖の上のポニョ」の後ろで演奏をしていました。紅白にも出ていました。
本日は、僕の知り合いが作った巾着型の特注カメラバックを持ってきました。中には僕の写真がプリントされています。よろしければこちらもご覧ください。


I:ハービーさんのオリジナルカメラバックですよね?

H:デザイナーがデザインしたのですが、僕が少し柔らかくしてくれとか、ポケットを付けてくれとか色々とアドバイスをしながら作ったもので、ロンドン時代の写真が内部にプリントされています。
ロンドンと言えば、私がいた頃はパンクロック全盛期の時代でしたが、ある時、地下鉄のホームで、偶然にパンクバンド・クラッシュのメンバー、ジョー・ストラマーさんを見つけました。当然写真を撮りたいという気持ちが出てきたので、恐る恐る「ジョーさん写真を撮ってもいいでしょうか?」と聞いてみたところ予想に反して「いいよ」と言ってくれました。僕はもう嬉しくて同じ電車に乗ってそこで何枚か撮影させていただきました。そして「ありがとうございました」と言ったところ、彼は降りがけに振り返って言いました。「君ね。撮りたいものは撮りなさい。それがパンクだろう」この頃は、自分がどうやって写真家として生きていこうかという迷いがあった時期だったので、自分に正直に写真を撮っていこうと心に決めた言葉でもあったのです。パンクと言えば過激なファッションとか無鉄砲とかそういった印象があると思いますが、彼の言葉からその意味は「妥協するんじゃないよ」という事だったと理解しています。このカメラバックにもそれを表現するSTAY PUNKという僕の好きな言葉が書かれています。どんな格好をしようと、人に迷惑をかけなければ自分の信じた道を進んでいく事が、人生では重要な事ではないかという教えだと思っています。

©Herbie Yamaguchi


I:これは有名なお話ですので、ご存じの方もいると思いますが、ジョー・ストラマーさんのしびれる名言からスタートしました。ハービーさんの写真人生を変えたひと言ですので、大切なお言葉ですよね。
それでは、まず初めにハービーさんに影響を与えた写真家を教えていただけないでしょうか?

H:僕は1970年代から写真を始めたのですが、現在、恵比寿の東京都写真美術館で写真展を開催している木村伊兵衛さんですね。実は昨日、小山薫堂さんと彼についてトークショーをやってきたところです。人を撮る、街を撮る、スナップを撮る、ライカをこよなく愛した彼の作品にはその中に飾らない人々の心が表れていると思います。何よりも自分が励まされる写真を撮りたいと思わせる写真家だと思います。海外ですとライカの名手、アンリ・カルティエ=ブレッソンさん、それからアメリカのブルース・デビッドソンさん、北井一夫さんも好きな作家です。ファッションフォトグラファーのジャンルー・シーフさんも好きですね。よくライカのスーパーアンギュロン21mmを使って撮影していた写真家ですね。1977年にフランスで観た一枚なのですが、その中の女性に恋をするほどの印象的な作品でした。後日、偶然にそのオリジナルプリントを見つけて購入したのですが、上質のワインを開けその写真の中の彼女と乾杯をしたほど好きな作品でした。女性を撮るという事にも興味がわき、勇気を与えてくれた一枚でもありました。木村伊兵衛さんの秋田美人の作品を観てもそうなのですが、人となりが感じられる目線が私たちを元気にしてくれますよね。

I:ハービーさんご自身の作品の中で特にお好きな作品はありますか?

H:1970年に写真を始めた頃に撮影したモノクロの「浜辺のサヨ」という作品です。ある日、近くの公園でバレーボールをやっている娘さんが二人いました。そこで写真を撮らせてもらっていたのですが、ボールが僕の方へ飛んできた時にその娘が「ぶつかる、よけて、よけて!」って優しい目で僕を見守ってくれたのです。僕は小さな頃から腰椎カリエスという病気を持っていて学校ではいじめられていたのですが、その時、初めて他人が僕に優しい表情を見せてくれたので、人一倍ありがたく感じたのでした。その瞬間の写真は撮れていないのですが、そのような、人に優しい写真を撮っていきなさいと言われたような気持ちになりました。それからその時のサヨさんとは知り合いになり、オートバイで横浜へ行ったときに撮った写真が「浜辺のサヨ」という写真なのです。その後、僕はロンドンへ旅立ってしまい8~9年ほど日本には戻らず、サヨさんとも疎遠になってしまいました。
1988年、布袋寅泰さんから作詞を頼まれまして、サヨさんとのエピソードを題材にした「GLORIOUS DAYS」という作品をつくりました。この曲は、多くの布袋さんのファンから「切なくて大好きな歌です」という感想を頂きました。写真家の私に作詞の機会を頂いたことを本当に感謝しています。ただし残念ながら英語の歌詞なのであまりカラオケでは歌われず、印税はあまり入ってこないんです(笑)

©Herbie Yamaguchi


その後、サヨさんとは長期のブランクがありながらも「東京会議」というTV番組の中で再会し、沢山の思い出が蘇りました。長くなりましたが、こんな出来事からこれが僕の思い出が詰まった作品の一枚なのです。
その他に「ギャラクシー」という写真も好きです。そして2004年の作品ですが、放課後の女子学生達が二子玉川の中州を渡っているところ、風が吹いた瞬間をライカM3+f3.5/50mmで捉えた「夏、一瞬の風」というタイトルの作品も好きです。

©Herbie Yamaguchi


I:今回の写真展のコンセプトをお教えください。

H:1970年にサヨさんと出会って写真を始めた頃から五十数年が経ったのですが、総じて希望あふれるものを探してきました。子供の頃は、病気で孤独と絶望の時代だったのですが、十代の終わり頃にお医者さんから無理をしなければ生きていけると言われ、その時初めて生きる希望を感じることができ、この希望という言葉をテーマに写真家を目指すようになりました。それ以来、希望が見えた時にはシャッターを切ってきました。
ここ5~6年前からか、国も東京都も企業も、髪の毛を染めることに関してとても寛容になってきて、街中でも若者の髪がカラフルになってきました。それが彼らのひとつの表現手段にもなってきているのです。僕の写真はモノクロームが多いのですが、彼らの髪の色に触発されてカラー作品を撮るようになりまして、写真評論家の飯沢耕太郎さんから賛同をいただいた事もあり、今回の写真展はカラー作品展にすることにしました。

©Herbie Yamaguchi


I:それでは、カラー写真とモノクロ写真の違いについてのお考えを聞かせてください。

H:木村伊兵衛さんやブレッソンさんの作品はほとんどがモノクロ写真でした。モノクロ写真の持っているトーンの美しさ、色がないことで強調される光と影、そして構図や表情、加えて清楚感、シンプルさもより強く感じられると思います。僕はそれらに魅了されてきました。
ロンドンでパンクロックの後にニューロマンティックというムーブメントが流行りました。化粧をしてカラフルな人々が集まるクラブに行った時には、さすがに撮影はカラーでないといけないなと感じました。カラースライドのコダクローム64は大変高価だったので、慎重に、そしてとても丁寧にフィルムを使っていました。昨今の若者のカラフルな髪も含めて、カラーに適した被写体にはやはりカラーの作品がいいですよね。


I:次に、ポートレート撮影のコツがあれば皆さんにヒントを教えていただけますか?

H:通常、ポートレート撮影をしていると気付かれますよね。そうしたらニコッと笑って一枚いいですかと聞いてみます。ダメな時もありますが、まずは褒めてから徐々に構図の希望を伝えていきます。そうするともうスナップではなくポートレートになります。
そこで僕の写真はスナップ・ポートレート、または、ストリート・ポートレートと呼んでいます。昨今の厳しい状況や環境もあるので、もう声をかけてしまった方が良いと思いますよ。僕の場合、名刺を渡したり、写真をモニターで観せてあげたりすると撮影を喜んでくれる人もいます。全然知らない人でも友達になれる事もあります。
撮らせてくれる方がいるから僕の写真は成立するのです。よくぞOKしてくれたという被写体への感謝の気持ちを持ちながら撮影をします。撮らせていただけるお礼に、写っている人の明日の幸せを祈ってシャッターを切るという事を心がけています。おそらくジョー・ストラマーさんにもその気持ちが通じて、僕へのエールに繋がったのだと思います。
その人の幸せを祈ってシャッターを切るという行為が世の中の常識になれば、写真を撮っている人は決して変な人ではなくなります。写真を撮られる事って良いことなんだと普通に思えるような社会になればいいですよね。

©Herbie Yamaguchi


I:今更ハービーさんのプロフィールをご紹介するまでもないと思いますが、2011年には、日本写真協会作家賞を受賞、そして大阪芸術大学(現在も継続)、九州産業大学では教鞭をとられていましたし、この4月には、日本写真芸術専門学校の校長に就任されました。この学校は、著名な写真家、秋山庄太郎さん、藤井秀樹さん、竹内敏信さんらが校長をやられていた、歴史のある素晴らしい学校ですよね。

H:大学卒業以来、フリーランスという雇用関係が全くない世界で生きてきたのですが、74歳にして初めて雇われる身になりました。そして初めての仕事としては、慣れないスーツを着て入学式で新入生にエールを贈ってきました。月に一度位はゼミみたいな事をやっていこうと思っています。生徒たちには、写真を通じてどういった夢を持ってどういう道を生きていくのかを示せるような、そしてこの学校にきて良かったと思えるような経験をしてもらいたいと思っています。ただ毎日学校に行く必要はないようなので、写真活動は今まで通りのペースでやっていく予定です。

I:この学校では、過去にはなんと、セバスチャン・サルガドさんが名誉顧問も担当されていますよね?

H:先週7年ぶりにロンドンに行ってきまして、サルガドさんの写真展、そしてトークショーにも行ってきました。彼は今世紀最大の写真家と言っても過言ではないと思いますが、ご挨拶させていただきました。ブラジル出身の写真家で80歳を超えていらっしゃるのですが、以前のブラジルは、空がきれいで、多くの動物もいてあまりにも美しい国で、そんな大自然の中で育ってきた彼なのですが、それが今では、お金の為に色々なものが掘り起こされ、木々は切られて滅茶苦茶になってしまった。人間の欲求というものが、あまりにもこの世界を変えてしまった現実に失望し「人間はいったい何をやってきたのだろうか?No future」とも言っていました。 でも我々はまだ手遅れでないと信じ、自分の国さえ良ければいいという利己主義ではなく、利他主義という考えを持ち、若者も我々も皆が謙虚な気持ちで時代を変えていくことを推進していかなければならないと思います。
コロナ禍の時期に目黒のギャラリーに行った時に、大阪から日帰りの夜行バスで来ていた写真学校の若いカップルに出会いました。東京の写真スタジオに見学に来たという事だったので、僕の知っている代官山スタジオを紹介してあげたのですが、道すがらいくつかの写真ギャラリーも一緒に見学しながら、飯沢耕太郎さんのカフェ「めぐたま」にも連れて行ってあげました。その日は夜行バスで大阪に帰っていったのですが、次の日に感謝のメールが来ました。これを知人に話したところ「どうしてそこまで知らない人に親切にするの?」と聞かれました。そこで考えてみたのですが、僕が二十歳の頃に人にやって欲しかった事を、今普通にしてあげているのではないかと気が付きました。彼らに生きる勇気を与えて、この世の中は悪い事ばかりでもないよと伝えたかったのです。僕もいい刺激を受けて嬉しくなりました。

(ハービーさん、突然会場内に一人の若い女性を見つけて話を始めました)

©Herbie Yamaguchi


5年程前にKKAGというギャラリーで写真展とトークショーをやったことがあったのですが、その時に、生まれて初めてひとりで名古屋から上京し、会場に来てくれた高校生がいて、それが彼女だったのです。周りの人々も彼女に親切にしてあげて、この事はCAPA誌でもエッセイを書かせてもらいました。彼女は写真部に所属していて賞も受賞している写真好きの方ですが、ひとりで東京に来るという、一歩踏み出すことだけでもかなりの勇気が必要だったと思います。今年のCP+では、トークショーの後に彼女のお母さんがご挨拶にきてくれました。

I:色々なストーリーをお持ちのハービーさんなのですが、写真展の撮影機材をお教えください。

H:ライカのフィルムカメラは、ライカM3を数台、そしてライカM4、M6、MPアンスラサイトを持っています。デジタルですと、ライカMモノクローム、M10モノクローム、M10-P(Black&Grey)、そしてライカQを使っています。レンズは28、35、50、90mmを持っていて、50mmは多くのバリエーションを持っていますね。ノクティルックスはF1.0のE58とフード組み込みの2種類を使っています。
今回の写真展の作品のほとんどはライカM10-Pで撮影しています。これはライカ心斎橋店のリニューアル記念モデル、ライカM10-P "Black&Grey" Edition と言う限定40台の希少なカメラでデザインが気に入っています。他にライカQでも撮影しています。


I:それでは最後にライカの良い所を聞かせてください。

H:使わないとわからないと思いますが、例えば、人を乗せて走るという点では同じ車なのに、なぜ軽自動車とロールスロイスがあるのでしょうか。使ってみてそれぞれの良さがわかるという事と同じだと思います。1983年32歳の時に初めてライカM4のブラッククロームの中古を手にした時のことは忘れません。何年か3食を2食にして節約をしながら、お金をためて買ったものなので、それを手にした時の喜びはとても大きく、このカメラだったら、被写体の心までも写せるだろうと感じました。これから写真家として生きていこうという僕をとても勇気づけてくれたのがライカだったのです。
数年前にノクティルックスというレンズを買いました。開放値が、F1.0という明るいレンズで、ボケ味がとても独特で特殊な写り方をします。ノクティルックスには、他に開放値がF0.95やF1.2というレンズもあるのですが、このレンズに出会って作品を撮った時、僕ってこんなに写真が上手だったんだと思ったほどでした。ノクティという言葉の語源は夜という言葉から来ているのですが、夜でも写るくらい明るいレンズです。そして開放の撮影ですとピントが一か所しか合わず他はボケますので、この効果によって周りのいらないものを消すこともできます。また、アポズミクロンという素晴らしい表現をするレンズも使っています。今回の写真展にある雲仙の生徒たちも素晴らしくよく描写されています。

©Herbie Yamaguchi


最近のデジタルカメラですと、皆さんはUVフィルター位しか使わないと思いますが、あえてグリーンやレッドのカラーフィルターを使って空の明るさなどを調整してみたらいかがでしょうか?ライカで使ってみても面白いと思います。

I:最後にハービーさんの今後のご予定などをお聞かせください。

H:2019年にはグループ展も含めると写真展を年間25回開催しましたが、今年も写真展の予定があります。まずは7月まで、ライカ松坂屋名古屋店で写真展のお世話になります。そして毎年、写真甲子園が行われ写真の街として有名な北海道の東川町では、5月26日まで写真展が開催されています。加えて渋谷ヒカリエ8階では校長就任記念写真展が、6月25日〜7月2日まで。大阪梅田阪神デパートでの写真展は6月26日〜7月8日まで開催されます。さらに来年ですが、箱根の彫刻の森美術館でも写真展を予定しています。CAPA誌上でのエッセイの連載やラジオ番組(Inter FM 毎週金曜日12:25から20分間)もレギュラーで担当していて、多様性というか自分の可能性を追求する楽しさを若い人たちに知ってもらいたいと思っています。

最後になりますが、次にあげる4点は人生ではとても大切な事ですので、皆さん意識して解消していきましょう! *運動不足 *栄養不足 *睡眠不足 *笑顔不足
笑顔がとても重要だという事です。皆さん笑顔で頑張りましょう!

I:笑顔の写真は、幸せな気持ちにしてくれますよね。本日はありがとうございました。