100 YEARS OF LEICA
ライカカメラを生んだ街・ウェッツラーへの旅 前編
「ゲーテの光と闇」
石井朋彦
2025年6月25日(水)- 27日(金)、ドイツ・ウェッツラーで催された「ライカI型」の発表から100年を記念する歴史的イベント「100 YEARS OF LEICA」に招待頂きました。
何故、彼の地でライカのカメラが生まれたのか。ウェッツラーへの旅先で想いを馳せた仮説を、写真と共に書きたいと考えました。
文豪・ゲーテは色彩の研究家だった
東京から14時間、降り立ったのはドイツ南西部の大都市・フランクフルト。
かつて神聖ローマ帝国の戴冠式が行われたドイツ最大の金融都市。この地を訪れたら足を運びたいと考えていた場所がありました。ゲーテの生家です。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832年)は「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」を著し、現代でも名言集が繰り返しベストセラーになる文豪ですが、自然学者としての顔も持っていました。
ゲーテが晩年「後世、自身が最も評価されるだろう仕事」と語ったという研究があります。それが『色彩論』(1810年)です。フランス人の発明家、ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが、カメラ・オブスクラを用いて世界初の写真画像の定着に成功(1827年)するより前のことです。
私たちは、光を通して世界に「色」を感じています。
光には様々な色の波長(スペクトル)が含まれているということを発見をしたのは、アイザック・ニュートン(1643-1727年)でした。「写真」=「Photograph」の語源もまた「Photon(光子)」で「Graph(描く)」であると言われています。
しかしゲーテは、ニュートンの光学理論を批判し、光と闇、白と黒の間に色が存在すると考えました。紀元前、アリストテレスが提唱した色彩論が元となっています。同時にゲーテは、自然の中にこそ色が存在し、数式ではなく、人間の目で見た色と世界を信じるべきだ(人間の視覚における色の知覚や心理的影響を重視した)──とも著しています。
数学者であったニュートンと、文学者であったゲーテの、世界の見据え方の違い。現代においては、ニュートンの理論の方が「正しい」とされていますが、カメラを手に人や街を撮る私たちにとって、ニュートンの理論よりも、ゲーテの理論のほうがしっくりくる気がする……それがウェッツラーを訪れる前に、フランクフルトでゲーテの生家を訪れたいと考えた理由でした。
モノクローム写真を撮りながら、陰影の中に色を感じる瞬間はないでしょうか。「数値的には正しく」記録されているはずのカラー写真をソフトウェアで開いた時、どこか「記憶の中の色と違う」と感じたことがある方も、少なくないのではないでしょうか。
私には、数学的に正しいとされるニュートンの理論よりも、文学的・感覚的 ── 時に主観的に色彩をとらえ、白と黒、光と闇の間に色を感じるという「ファウスト」的なゲーテの考え方の方が「自分が見た瞬間の気持ちを伝えたい」──という写真撮影の本質に近いように感じるのです。
文豪・ゲーテの『色彩論』に敬意を表し、M型ライカの光学ファインダーごしに見たフランクフルトの街で、光と闇の間に色彩を探しながら、シャッターを切りました。
ゲーテの生家「ゲーテ・ハウス」
フランクフルト中央駅から、東西に流れるマイン川沿いを15分ほど歩いた場所に、ゲーテの生家「ゲーテ・ハウス」があります。帝国議会議員の父と、市長の娘であった母の間に生まれたゲーテの生家は、緑に包まれた四階建ての豪奢な建物でした。
6月後半のフランクフルトの日は長く、21:00を過ぎてようやく、空がオレンジ色を帯び始めます。冬場は日が短くなるはずですが、緯度の高いヨーロッパに生きる人々が、我々日本人よりもより長く(そして短く)、光を感じて生きているということと、両国の文化や芸術の特性は無関係ではないと思います。
新緑の中庭で鮮やかに花弁を広げる薔薇。来場者を睥睨する壁一面の肖像画と、ゲーテ一族の知性の源泉である重厚な本棚……、第二次世界大戦で消失し、戦後復元された建物ではありますが、そこここに色彩と光、そして闇を感じ、在りし日、この場所で生きた人々の息遣いが伝わってくるような気がします。
写真撮影においては、光をとらえることが最も重要です。ニュートンが証明したように、光が物体に反射することで、我々はその波長から色を認識している。光がないところには、本来何も写らないはず。しかし、ゲーテの『色彩論』を念頭に被写体を探すうちに、光だけではなく、闇の中にもディテールや色を感じるような気がしてきます。
ゲーテは、こう書き遺しています。
「この世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しない。闇だけでも成立しない。光と闇の間にこそ色彩は存在するのだ」
フランクフルトの街を歩き、自らの目が求める色彩を探す
初夏のフランクフルトの空は澄み渡るように青く、頬をなでる風の中に新緑とほのかな花々の香りが含まれ、歩みを進めるだけで全身に力がみなぎります。
ゲーテが、30年の歳月をかけて書き上げた戯曲「ファウスト」。
闇がなければ光は存在し得ない。そして光もまた、闇を生み出す。現代、世界のあらゆる場所で繰り広げられている壊滅的な「戯曲」の本質はまさに、ゲーテが光と闇、色彩の研究の過程から生み出した真理の中に隠されている。光ばかりを探し、数値と論理、情報のネットワークが張り巡らされた世界に落ちる影について、考えさせられます。
ゲーテがその名を世界に知られることとなった小説「若きウェルテルの悩み」は、フランクフルトから自動車で一時間ほどの場所にある、ライカカメラ社創業の地、ウェッツラーでの、ゲーテにとって大切な記憶をもとに書かれました。
主人公の青年ウェルテルは、シャルロッテという女性に恋しますが、彼女には婚約者がおり、ウェルテルは叶わぬ恋に絶望して自ら命を断ちます。シャルロッテにはモデルがいたのですが、モデルとなった女性と出会ったのが、ライカカメラ社創業の地・ウェッツラーだったのです。ゲーテが23歳の時でした。
ゲーテは叶わぬ恋の相手とウェッツラーの郊外で逢瀬を重ねながら、豊かな自然の中で、文学や芸術、そして自然科学への視座を身につけていったそうです。ゲーテの文学的・芸術的な視座は、自然を愛する女性に対するかなわぬ恋から始まったのかもしれません。
シャルロッテと共に見たウェッツラーの光や色彩は、ひとりで見るときよりも美しく、輝いていたことでしょう。
写真やカメラ、そして私たちの人生を振り返ると、数値やデータという「数字」に振り回されがちな現代人にとって忘れ去られがちなものこそ、ゲーテの考えた感覚的色彩論の中に隠されているように感じます。
ゲーテ曰く、光があるから色が見えるのではなく「人間の目が色を求めている」。カメラのスペックを語るのはニュートン的であるが、写真を撮るという行為の本質はゲーテ的だと表現すればよいでしょうか……。
自分の目で光と影、そして色を見出すこと。数学的ではなく、文学的・芸術的に世界を見つめ、シャッターを切ることの意味を、オートフォーカスもEVF(液晶ビューファインダー)も搭載しないM型ライカでシャッターを切りながら、考え続けました。
後編に続く
使用機材
Leica M10-P・Leica APO-SummicronM f2/50mm ASPH.
石井朋彦 / 写真家・映画プロデューサー
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」等、多数の映画作品に関わる。
写真家としても活動し、ライカGINZA SIX、ライカそごう横浜店、ライカ松坂屋名古屋店、新宿 北村写真機店で写真展を開催。
雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に、写真・寄稿多数。JR高輪ゲートウェイ駅前の仮囲いデザインの撮影・ディレクションを行った。
M型ライカを手に、写真撮影における「距離感」をテーマに、写真の魅力を発信し続けている。