My Leica Story
ー 放送作家 小山薫堂 ー
Part 2
小山薫堂さんは、日本のテレビ界を代表する放送作家であり、脚本家、ラジオパーソナリティー、会社経営者、大学教授としても活躍中。写真家としての顔も持ち、ライカギャラリー東京で写真展『restaurant』を2020年11月3日まで開催中。
そんな小山さんに、ご自身のカメラ遍歴やライカとの関係についてお話を聞かせていただいた。
text:ガンダーラ井上
My Leica Story ー放送作家 小山薫堂 ー Part 1 はこちら
初めての被写体はスーパーカー
――ところで、小山さんが最初に自分の意思でカメラを持ったのはいつ頃ですか?
そして、その被写体は何だったのでしょう?「最初は小学生のときですね。当時は“サーキットの狼”という漫画が流行っていて、そこに登場するランボルギーニ・ミウラとかロータス・ヨーロッパ、フェラーリBBなどの実車を展示するスーパーカーショーというイベントがあったんです。それを撮りに行くのにカメラを手にしたのが最初です」
――おお! 1970年代のスーパーカーブームですね! ちなみにその時のカメラは自分の持ちものだったのですか?
「その時は、祖父が写真が好きでカメラが何台もあったので、そのうちの1つを。確かニコンFだったと思うんですけど、それを借りて撮っていました」
――お爺ちゃんのカメラを持って出かけ、スーパーカーを撮影する小山少年の姿が目に浮かびます。それにしても高級なカメラを孫に託すお爺ちゃん、度量の大きい人物ですね。でもニコンFといえばプロ仕様のフルマニュアル機で、小学生が使いこなすには難しい気が‥。
「それが、意外によく撮れていました(笑)。高校時代も写真が好きだったんですよね。全寮制の男子校で、まるで家族のように仲良くなった友達みんなの写真を撮って、そこにメッセージを書いてもらって、アルバムを作りました。そのアルバムは、今も仕事机の横に仕舞ってあります。全部で50名くらいですね。モノクロのプリントで、時折それを眺めています。」
ライカを使う前から写真が好きだったと語る小山さん
――今回の写真展の作品から浮かび上がってくる“撮影者と被写体の関係性”というテーマは、高校生の時から撮っていることになりますね。
「そうかもしれないですね。今でも覚えているんですけど、大学に入って、当時付き合っていた女の子を原宿のラルフローレンの前の歩道橋の上で撮ったりして」
――あぁー! もうキュンキュンしますねぇ。好きになっちゃった人に歩道橋の上でカメラを向けたんですね。そこは、ゆっくりゆらゆら揺れていて、不安定な足元がいつもとちょっと違う気持ちにさせる場所ですよね。
写真の記憶は人生のブックマーク
「その女の子のことは、いろんな場所でかなり撮ったんです。結構長く10年近く付き合っていたんですけれど、猪苗代湖かどこかにスキーに行ったときに喧嘩して。すぐ仲直りすると思っていたから、そうなったら一緒に現像しに行ってそれまでの写真を見ようと思っていたんです。でも、そのまま別れてしまって‥。そのフイルムは、現像できないまま今も金庫に入れてあります。そして、それをもとに“フィルム”という小説を書いたんです」
――封印しておいたフィルムを現像したら、すごく長い時間を経ているのに撮影したときの感覚がフラッシュバックするかもしれないですね。
「写真の記憶は人生のブックマークの様なもので、その瞬間をパッと蘇らせる力があると思います。でも、このフィルムをいつ現像するか、そのタイミングが難しいですね。もうしばらく熟成させようということで保管してあります」
――これはフィルムを使うカメラだからこそ有り得るエピソードで、デジタルカメラだと便利な反面、すぐに撮影結果が見えてしまうから難しいことですよね?
「後ろにモニターが付いていないライカM10-Dだったら、撮影してそのままSDカードを抜いて、それをパソコンで見ないままコレクションしていったら面白いんじゃないかと思います(笑)」
初めてのライカはミニルックス
――ちなみに、今も未現像で保管してあるフィルムはライカで撮ったものですか?
「いいえ、その頃はまだライカは手に入れていなかったです。最初のライカは、フィルムのコンパクト機のミニルックスでした。すごく良く撮れるカメラで、当時mcシスターという女子向けの雑誌でやっていた連載でも使いました。その記事は写真日記だったんですよ」
――オートフォーカスのコンパクト機で単焦点40mmのズマリットが付いていて、良く撮れるカメラでしたよね。最近では中古のミニルックスがすごい人気になっています。
「ミニルックスも気に入っていたんですけれど、やっぱりマニュアルのライカが欲しくなって。あるとき、TVディレクターが古いバルナック型のライカを持っていたんです。僕が羨ましがっていたら、その人が『僕が程度のいいのを見つけて買っておいてあげますよ』と勧めてくれて、それでマニュアルのライカで撮り始めたんです」
くまモン仕様のライカMに装着されたオールドレンズ
――このズマールはバルナック型ライカの時代のものですよね。その時から使っているものですか?
「これは、写真家のハービー・山口さんが一時期、最新のライカにオールドレンズを付けるのに凝っていた時期があって、『いいじゃないですかこれ! どこで買えますか?』って言ったら『よかったらこれを貸すので使ってくださいよ』って貸してくれたものなんです。そのまま返していないので、そろそろと思ったんですけれど『いや、まだいいよ。貸していてあげる』ということなので、そのまま使っています(笑)」
――くまモン仕様のスペシャルなライカMに、ハービーさんのズマールを付けているとは恐れ入りました(笑)。話をバルナック時代に巻き戻しましょう。
「しばらくバルナック型のライカⅢfを使っていたんですけれど、あるとき上手くフィルム装填できていなくて、何かもっと近代的な楽にフィルムが入れられるカメラが欲しいと思っていたタイミングで、ハービーさんがラジオのゲストに来てくれたんです。そのとき、ライカM6を持ってこられていて、ちょっと触らせてもらったら『うわぁ、やっぱり最新式はいいな』って思ったんです」
ハービーさんのライカM6に感化されて
――そこでライカM6デビューされたということですね?
「いや、改めてお店で触ってみると重いし、あと値段も高いし、やっぱりやめようと思ったんです。で、その次にハービーさんと会ったら『今度M7というモデルが出るよ』って聞いて。じゃぁそれをと思って、ライカM7が出たタイミングで買ったんです」
――当時最新のフィルムM型ライカ。絞り優先AEの搭載されたモデルですね。
「そうです。それでハービーさんに見せたらすごい悔しがって『なんで君がこれを先に買うんだ』みたいな(笑)。それから、M型ライカ人生が始まりました」
小山さん所有のライカ・エルメスエディション
――小山さんのライカといえば、エルメスエディションもお持ちですよね。そうしてフィルムのM型ライカを愛用していたので、自然な流れでデジタルのM型も使うようになったのですね。デジタルの最初はライカM8ですか?
「そうです。最近うちの社員に、僕は初めて自分の持っていたカメラを売ったんですよ。それがライカM8です。そいつが、『やっぱりライカっていいですね、欲しいです』って言っていたので譲ったんです。彼は今北海道に勤務しているんですけれど、箱もキレイにとってあったので一式送ってあげたらすごく喜んで。それから、そのM8で撮った写真を僕に送ってきてくれるんですけれど、それが意外と良いんです。それで、こいつに売らなければ良かったなと思いました(笑)。手放してわかるライカM8の良さみたいな(笑)」
――その感覚、すごく良くわかります。でも、実働させるとなると最新モデルですよね。今回の写真展で使用された機種は何ですか?
「ライカM10と、ライカM10-Dです。割合としてはライカM10-Dの方が多いですね」
――渋い! ライカM10-Dは背面に液晶ディスプレイをあえて搭載していないモデルだから撮影直後に画面で確認できませんよね。小山さんは“モニター見ない派”なんですね。
「パソコンのある場所に戻ってから『あ!きれいに写ってる!』っていうほうが嬉しいので、後ろのモニターは“見ない派”ですね。」
――それは現像待ちの時間という、フィルムカメラでの撮影経験があるからですかね?
フィルム的感覚のライカM10-D
「それもあると思います。あと、ライカM10-Dはフィルム巻き上げレバーのような指をひっかける部品がありますよね。最初は、何だ、ひっかけるだけでフェイクか。と思ってライカらしくないと思ってたんです。でも、使い始めると、これがあるかないかですごく安定感が違ってきてムチャクチャ撮りやすいんですよ」
フィルム巻き上げレバーのようなサムレストを装備
――でも、巻き上げレバーを引き出したところに親指を引っ掛けたままシャッターを押すなんてフィルム機の時代ではしていないですよね? それをやるとカメラが壊れそうです。
「当然そうです。でも、これに慣れるとこれがすごく撮りやすいんですよ」
――このレバー、使った人は皆さん具合がいいって感想を持つようです。
「やっぱりそうですか。他のモデルにもこれをつけた方がいいんじゃないかと思うぐらい、これがあった方が馴染みますよね」
自分の手の延長としてのライカ
――小山さんにとって、ライカとそれ以外のカメラの違いって何でしょう?
「一言で言うと、ライカは自分の手の延長の機械って感じですね。最近の車も同じだと思うんですけれど、自分の感覚がダイレクトに機械に伝わらないと言うか、機械が介在することによる補正ってあるじゃないですか。それをライカは感じさせないのがいいと思うんです」
――だからこそ、ライカでなければ撮れない写真がある。今回の写真展でとても印象深かったこのショットもその1枚でしょうか?
Restaurant PAGES (パリ) @ Kundo Koyama
「そうですね。これは、たまたまレストランの隣の席でご飯を食べていた人を、ライカを自分のテーブルに置いて撮ったものなんです。彼は、一口食べるごとにちょっと上を見上げていて。このレストランのシェフに聞いたら、やっぱり彼はシェフで勉強のためにたまに食べにくるそうなんです。だから自分の中でレシピを噛み締める感じなんですよ」
――レストランにたった一人で、普段着のような格好とアディダスの運動靴を履いて、視線は斜め上。コロナ禍で孤独に食事をしながら外食を夢想しているというシチュエーションをスタジオで完璧に作り込んだ写真なのかと勘違いしていました。
「実はファインダーも覗きもしないで、このくらいかなってシャッターを切って撮ったものです。この写真を展示するにあたって彼に許可は取っていないんですけれど、レストランに尋ねたら『彼のこと知っているから大丈夫!』って感じで展示することにしたのですが、この写真を渡したら本人は相当びっくりすると思いますよ」
――すごいです。ライカM10? それともM10-Dですか?
「この時は、ライカM10-Dです」
――モニターを見て確認できないモデルだから挙動不審にならないんですね。ライカM10-DはライカM10-Pと同じで音も静かだから、この状況を撮るには完璧ですね。
「そのとおりです。ライカM10-Dに慣れたらモニターなしのほうがいいですね。これのモノクロームは出ないんですか? 背面モニター無しのモノクローム専用モデルが一番ストイックな感じがしますよね」
――ライカM10-Dのモノクローム仕様が登場したら、小山さんの撮っている写真としてはパーフェクトな機材ですよね! 今までの流れから個人的に推測してみると製品化する可能性もあるかも知れませんね。これからも素敵な写真を撮ってください。本日は、お忙しいところ素敵なお話を沢山していただき、どうもありがとうございました。
「こちらこそ、どうもありがとうございました」
My Leica Story 小山薫堂さん
Photo By Y, Leica Online Store
小山薫堂写真展 「restaurant」
期間:2020年7月23日(木) - 11月3日(火)
会場:ライカギャラリー東京 (ライカ銀座店2F)
東京都中央区銀座6-4-1 Tel. 03-6215-7070
小山薫堂 プロフィール
放送作家。脚本家。京都芸術大学副学長。1964 年熊本県天草市生まれ。テレビ番組「料理の鉄人」の構成を手掛け、食の雑誌「dancyu」で連載を始めたことがきっかけで、食関連のプロジェクトに関わるようになる。次世代の若手料理人を発掘するコンペティション「RED-U35」の総合プロデューサーを務め、2025 年の日本国際博覧会では食のフォーカスエリアプロデューサーに就任。京都の老舗料亭「下鴨茶寮」の主人でもある。 これまでの主な作品は、「おくりびと」(脚本)、「Stand Alone」(作詞)、「くまモン」(プロデュース)など。