100年目のウェッツラー 100年先のライカ ①

石井朋彦


Leica M Edition 70 / Leica MONOPAN 50

カメラを手に、写真を撮るということ

 カメラを手に歩いていると、世界は大きく変わります。カメラがなければ眼に入らなかったことが、次から次へと見えてくる。
 ふと見上げた空を舞う鳥、通りの向こうに消えゆく、どこかで会ったかもしれない誰かの後ろ姿、足元に転がる子どもの頃に拾った気がする石──普段見過ごしてしまうような被写体に気づき、ファインダーを覗く。
 確かに自分がそこにいた──という記憶を心と画像に刻む喜びが、写真を撮るという行為の醍醐味です。

 あっという間に過ぎ去った2025年。読者の方々と同じように、私も夢中でシャッターを切り続けてきました。この一年で撮影した膨大な数の写真を見返しながら目を閉じると、日本と世界のどこかで撮影した一コマ一コマと、その瞬間の風景を思い出すことができます。
 ドイツ・ウェッツラーの森を抜けた先で揺れる麦畑、フランス・パリの街角で椅子に座る老夫婦の沈黙、ギリシャ・アテネの遺跡に刻まれた午後の影、週末に散歩する明治神宮の御神木から射し込む光……この一年の記憶の数々が、3:2の通常ライカ判フレームで切り撮られた写真のむこうで息づいているのを感じます。

 はじめてM型ライカを手にした日のことも、はっきりと覚えています。
 光学ファインダー越しに広がる世界を見つめ、距離を合わせてシャッターを切る。ずっしりと重いボディに響くシャッター音を楽しみながら、次の被写体を探す。プリミティブでシンプルな、撮影という行為に集中できる機構に夢中になり、もっと良い写真が撮りたくて、がむしゃらにシャッターを切り続けた日々は、何にも代えがたい思い出です。

 2025年は、世界初の量産型35mm判カメラとして知られる「ライカI」がライプツィヒ春季見本市で発表された1925年から100年という、写真史に残る特別な1年でした。今もライカのカメラとレンズは、数々の歴史的な瞬間を目撃し続け、私たちを魅了し続けています。
 スマートフォンとデジタルカメラの普及によって、全ての人が写真を撮るようになった現代。液晶画面やEVF(電子ビューファインダー)を通して撮影した写真をその場で確認し、SNSを通じて世界にシェアすることで、誰もが写真家やフォトグラファーを名乗れる時代になりました。生成AIの爆発的な進化によって、その場に足を運ばなくとも、画像を「生成」できるようにもなった今日において、何故ライカのカメラは多くのプロフェッショナルと写真愛好家に愛され続けているのでしょうか。

変わりゆく世界の中で、変わらないもの

 写真を学び始めて、まだ間もない頃。尊敬する写真家たちが、同じ言葉を口にすることに注目しました。

「すべては、距離である」

 写真撮影において最も大切なのは、被写体との距離を測り、被写体を見つめ、シャッターを切ること。かつてカメラは、撮影者が自分の身体で距離を測りながら使う道具でした。一歩近づく。少し引く。被写体との距離を見定めることで構図が決定され、距離計の精度を信じてシャッターを切る。とても原始的で、確かな行為でした。

 現代のカメラは、進化を続けています。コンパクトで高画質な、超広角〜高倍率域のズームレンズ。オートフォーカス機能は、瞳認識どころか、個人の肖像を特定しフォーカスを合わせ続けてくれる。近年のカメラにはAIが搭載され、過去に撮影された膨大な撮影データから、最適な露出やホワイトバランスを導き出してくれます。近い将来、その場に存在しない被写体をも生成するカメラが市場に送り出されるでしょう。スマートフォンに搭載されたカメラの高機能化によって、カメラ自体の存在意義を問う声も聞こえてきます。

 一方で、撮影者と被写体との距離は、時に曖昧になったようにも感じます。自分が本当にその場に立ち、被写体を見つめていたのか……。気がつくと、液晶画面を見つめ、指でスワイプしていた記憶しかない。「撮る」という実感が、遠ざかってゆくのを感じます。

 M型ライカには、ズームレンズも、オートフォーカス機構も搭載されていません。90年以上変わらない(はじめて距離計が搭載されたのは、1932年に発売された「ライカII」)、レンジファインダー(距離計)を使って被写体との距離を測り、自らシャッターを切るという撮影体験の向こうに、これからの100年が見えてきます。

生成AIの時代に立ち 距離感から始まるもの

 2025年は、生成AIが爆発的な進化を遂げたことが記憶される、歴史的な一年でした。画像や映像を生成するサービスの登場によって、カメラを持たず、その場に足を運ばなくとも、リアルな画像を手にすることが可能になりました。SNSや動画プラットフォームの急激な普及によって、既存メディアに対する信頼は揺らぎ、フェイクニュースや映像が溢れ、政治や経済、既存の価値観が音を立てて崩れてゆく……。写真や映像の世界にもその波は押し寄せ、2026年以降もその存在意義が問われ続けることは間違いないでしょう。新型コロナウイルスの感染拡大を経て、世界はひとつになるどころか分断し、分裂しています。
 そんな時代に、カメラを手にする者のひとりとして、確信していることがあります。

 世界は、カメラを手にして見える世界しか存在しない──ということです。

 もちろん、世界は無数に存在します。スマートフォンから流れ込んでくる膨大な情報やフェイクニュースにスキャンダル。そうした自分が見たことも聞いたこともない世界からは距離をおき、自分の足でその場におもむき、カメラで記録できるリアルな世界こそが、本来見つめるべき大切な世界なのではないか──と考えるのです。

 2025年6月、ライカ創業の地・ウェッツラーで催された「ライカI」誕生100周年を祝う式典「100 YEARS OF LEICA」で、ライカカメラ社監査役会会長アンドレアス・カウフマン氏は、生成AI時代における写真とカメラの未来についてこう語っていました。

「これからはますます、いつ、誰が、どこで撮ったのかが重要になってゆくだろう」

 カメラを手に立ち、被写体との距離を測り、シャッターを切るということ。それは単なる撮影行為ではなく、生きることと重なります。私たちは一人では生きられない。他者と世界との距離を測りながら撮るという行為こそ、人生そのもの。写真撮影における距離感と、人生における距離感は似ている──と考えます。
 スマートフォンやインターネット、生成AIによって、人と世界との距離感が壊れてしまっても、人と世界との距離は変わりません。未来の見えない時代、写真という芸術文化に出会えたことは、とても幸福なことです。

 偉大な写真家が、「写真は人類の記憶である」と記していました。
 人生という限られた時間の中で、どれだけの記憶を残すことができるのか。2025年を振り返りながら、この一年間の記憶の多くが、ライカのカメラを手に出会った人々と風景であることを実感しています。地図に地名も記されていない景色や、名前も知らない人々が確かに、写真と記憶の中に刻まれている……。

 来る2026年もまた、カメラを手に外に出たい。ひとつでも多くの、忘れ得ぬ記憶を残したい。その記憶が、自分だけでなく、誰かの人生に寄り添うような一枚になることを願いながら。

使用機材
Leica M10-P・Leica SL2-S・Leica M Edition 70Leica APO-SummicronM f2/50 ASPH.・Leitz HECTOR 50・Leica MONOPAN 50



石井朋彦 / 写真家・映画プロデューサー

「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカGINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。東京・香川・大阪で開催された写真展「Mの旅人 ─M型ライカで距離を測る旅─」は、距離感を体感できる新たな写真展として、大きな話題となった。

写真撮影における距離感と、人生や人間関係の距離感は似ている──と考え、カメラという身近な道具を通して、他者や自分をとりまく世界との素敵な距離感を見つけるためのヒントを著した一冊。「すべては距離感であるー写真が教えてくれた人生の秘密」 https://www.amazon.co.jp/dp/4798639737