“Mr. M”が振り返る、ライカMデジタル誕生からの20年(前編)

Report by Makoto Suzuki

ライカMデジタルの初号機「ライカM8」(2006年)ライカMデジタルの初号機「ライカM8」(2006年)


2026年4月、ライカ銀座店がオープン20周年を迎えました。これを祝したイベントには、ドイツのライカ本社からもキーパーソンが多く出席。ライカブランドを代表する“Mr. M”ことステファン・ダニエルの姿もそこにありました。

私には、“Mr. M”に聞いてみたい、もうひとつの「20周年」がありました。それがライカMデジタルの歴史です。1954年に「ライカM3」で始まったライカMシリーズは、2006年に登場した「ライカM8」で初めてデジタルカメラとなり、以来はフィルムとデジタルを並列にラインナップしています。

これまで20年の中には、どんな流れがあり、どのように現在の形に至ったのか。新たなファンも増えた今、その現代史を“Mr. M”の視点で語ってもらえたことには特別な意味がありました。

トークステージは限られた席数でしたので、ここにその概要をアーカイブしたいと思います。

■2000年代初頭:デジタル前夜

現在もそうであるように、カメラメーカーといえば基本的にレンズ交換式カメラがラインナップの中核となります。2000年代初頭のライカにも、レンジファインダーのMシリーズと、一眼レフのRシリーズがありました。

しかし、どちらもデジタルカメラではありませんでした。それはまだ、当時のライカにはデジタル化の技術がなかったからです。

2000年代初頭のラインナップ。まだデジタルカメラはコンパクトタイプしか存在しなかった2000年代初頭のラインナップ。まだデジタルカメラはコンパクトタイプしか存在しなかった

前提としてカメラ市場全体を見ると、1999年にニコンが発売した「ニコンD1」が、プロ向けデジタルカメラとして初めて100万円を切る価格で登場。これをもって、デジタルが普及していくきっかけになったと言われています。

ライカはパナソニックと2000年から業務提携を行い、2002年発売の「ライカDIGILUX 1」が初めてのコラボレーション製品となりました。ベースとなったパナソニック側の製品とは異なる直線基調のデザインで、2026年の新製品と言われても驚かないような、タイムレスなスタイリングだと感じます。

■幻のミラーレス・ライカ

マエストロ・コンセプトのレンダリング。モックアップも存在したマエストロ・コンセプトのレンダリング。モックアップも存在した

次に示されたレンダリングは、2000年代初頭にそのパナソニックと共同開発していた「マエストロ・コンセプト」というカメラでした。電子ビューファインダーを採用していることから、一眼レフカメラではなくミラーレスカメラですが、当時はまだそんな言葉もありません。

そしてマエストロ・コンセプトのプロジェクトは、ライカの資金不足によって2004年に中止されました。しかしこのアイデアは2008年にパナソニックが発売し、世界初のミラーレスカメラと言われているマイクロフォーサーズ機「LUMIX G1」として蘇ったと紹介されました。

近年ますます整備が進むライカ本社の資料室には、こうした様々なプロトタイプも保管されているそうです。ライカをより深く理解するには、世に出なかったプロダクトにも大きなヒントがあるはず。いつか機会があれば、“世に出なかったライカ”をテーマに資料室を見学してみたいものです。

■日本からの電話。デジタルレンジファインダーカメラが誕生

のちのライカMデジタルに繋がる第一歩となったのが、2005年に発売した「ライカ デジタルモジュールR」、通称“DMR”でした。これはフィルム一眼レフの「ライカR9」に組み合わせることで、デジタル撮影を可能にするシステム。決して数多く売れた製品ではなかったものの、これがデジタルへの大きな一歩だったと“Mr. M”は振り返ります。ライカMデジタルの親はデジタルモジュールRだったのです。

ライカ デジタルモジュールR。このシンプルな操作性が、現在のMデジタルの重要な基礎になっているライカ デジタルモジュールR。このシンプルな操作性が、現在のMデジタルの重要な基礎になっている

そしてある日、ライカのドイツ本社に日本のエプソンから電話がありました。それは「Mマウントのデジタルレンジファインダーカメラを紹介したい」という内容でした。ライカファンならご存じの方も多いでしょう、「エプソンR-D1」のことです。

エプソンR-D1は、2004年に発売された世界初のデジタルレンジファインダーカメラ。センサーサイズは当時主流のAPS-Cで、ライカM8のAPS-Hより小さかったエプソンR-D1は、2004年に発売された世界初のデジタルレンジファインダーカメラ。センサーサイズは当時主流のAPS-Cで、ライカM8のAPS-Hより小さかった

このR-D1の登場により、市場ではM型ライカのデジタル版を求める声が増え、ライカは開発を後押しされます。当時の最新機種である「ライカM7」に先述のDMRを組み合わせたプロトタイプを作るなど、Mデジタルの開発に本腰を入れることとなりました。

フィルムの「ライカM7」に、ライカR9とデジタルモジュールRを組み合わせたプロトタイプ(現存)フィルムの「ライカM7」に、ライカR9とデジタルモジュールRを組み合わせたプロトタイプ(現存)

フラッシュのシンクロ端子からシャッターの同期を取っているとみられる。かなりの手作り感だフラッシュのシンクロ端子からシャッターの同期を取っているとみられる。かなりの手作り感だ

■一眼レフとは異なる、デジタル化の難しさ

ただ、Mのデジタル化には大きな課題がありました。

ざっくり言うと、デジタルカメラのイメージセンサーは、フィルムと違って斜め方向からの光を取り込むことが苦手です。1画素どうしの間に壁があるため、斜めに入った光はその壁に遮られてしまう部分が出てきます。フィルム前提で設計されたライカMレンズには、斜めに光が入るタイプのレンズが多くありました。

これが一眼レフカメラであれば、レンズとイメージセンサーの間にミラーボックスが収まる空間があるため、そもそも光がまっすぐ届きます。この「テレセントリック性」という概念は、2010年代にミラーレスカメラが普及するとともにカメラ愛好家に広く知られた概念になりました。しかし2000年代当時としては、フィルム時代からコンパクトなレンジファインダーカメラを主に作ってきたライカならではの悩みだったのです。

そのため「デジタルのレンジファインダーカメラができた」というエプソンからの電話を受けた際にも、この課題に悩んでいたライカとしては「そんなもの、できるはずがない!」というのが本音だったそうです。

実際にR-D1も広角レンズでは周辺光量落ちが目立つなど、この課題の影響は受けていました。とはいえ「往年のライカ用レンズをデジタルで使える!」という、世界初の圧倒的な魅力が勝っていたのです。街の中古カメラ店にも、その頃にはR-D1を手に中古レンズを選びに来る人が増えたと聞きます。

ライカM8のイメージセンサーに盛り込まれた工夫。Mデジタルを実現するには、一眼レフには存在しない課題に取り組む必要があったライカM8のイメージセンサーに盛り込まれた工夫。Mデジタルを実現するには、一眼レフには存在しない課題に取り組む必要があった

ライカはデジタルモジュールRの時代から、イメージセンサーを製造するコダックと協業していました。目標は「既存のMレンズに最適化したイメージセンサー」です。

ライカM8でポイントとなったのは、「マイクロレンズオフセット」と「極薄のIRカットフィルター」でした。前者はテレセントリック性の都合で周辺部が暗くなってしまう現象に対処するため。後者はイメージセンサーの前にあるカバーガラスを極力薄くすることで、フィルムにはない余分なガラスレイヤーによる光学性能への影響を抑えることが目的です。

アナログのM型ライカをデジタル化する。これは単にイメージセンサーをフィルムの代わりに置いてデジタルで撮像するだけではなく、新旧レンズとの互換性や写真の仕上がりにまでライカのこだわりが反映されます。この思想は受け継がれ、今でもライカMレンズの性能を最も発揮できるのは、ライカ製品の中でも「ライカM11」などのMデジタルが一番だと、ライカ自身がアピールしています。

ともあれ、R-D1から2年後の2006年。ライカ初のデジタルレンジファインダーカメラ「ライカM8」は発売されました。

シンプルなUIと優れた画質が評価されていたという。APS-Hセンサーで1,000万画素だったシンプルなUIと優れた画質が評価されていたという。APS-Hセンサーで1,000万画素だった

写真は、ライカ本社に保管されている量産1号機。シリアルナンバーは「3100001」写真は、ライカ本社に保管されている量産1号機。シリアルナンバーは「3100001」

■ついに“ライカ判”フルサイズへ

ライカM9ライカM9

ライカM8は一定の評価を得ましたが、ライカといえば“ライカ判”、つまり35mm判フルサイズを避けて通ることはできません。ライカM8では、慣れ親しんだMレンズを装着しても「焦点距離×1.33倍」のクロップファクターが生じ、35mmのレンズでも46mmほどの画角に狭くなっていました。これを理由にライカM8を見送って、フルサイズ化を待ったライカユーザーも少なくありません。

ライカM9の開発コードネームは“P864”。ライカM8ではレンズ前に赤外カットフィルターを取り付ける必要があったため、ライカM9のセンサーでは光学性能と赤外線カットのバランスに注力したライカM9の開発コードネームは“P864”。ライカM8ではレンズ前に赤外カットフィルターを取り付ける必要があったため、ライカM9のセンサーでは光学性能と赤外線カットのバランスに注力した

そんな声に答えて、引き続きセンサーメーカーのコダックとも協力。ついにライカM9で35mmフルサイズセンサー搭載を実現しました。極秘裏のプロジェクトネームは「P864」。35mm判の辺の長さにちなんで、36×24=864と名付けたそうです。

ライカM9のファームウェアVer.1.0で撮られたファーストショット。ゾルムスにあった当時のライカ本社に虹が架かっている。Exifデータによると、撮影日は2009年9月3日の19時ライカM9のファームウェアVer.1.0で撮られたファーストショット。ゾルムスにあった当時のライカ本社に虹が架かっている。Exifデータによると、撮影日は2009年9月3日の19時

ステファン・ダニエルが示したのは、当時のライカ本社に虹が架かっている写真。これはライカM9のプロジェクトリーダーで、現在はカメラ部門のプロダクトマネージメント部長を努めるイェスコ・フォン・エーンハウゼンが撮影したものです。量産ファームウェアが完成し、その1枚目として撮影されました。

この写真が撮影された6日後の2009年9月9日、全世界に向けたライブストリーミングで「ライカM9」は発表されました。開催地がニューヨークとなったのは、ヨーロッパからアジア圏までの時差を考慮した決定だったそうです。

その様子は、今でも動画配信サイトで見ることができます。

2009年9月9日、“9”が並んだ日にライカM9は発表された2009年9月9日、“9”が並んだ日にライカM9は発表された

その頃ゾルムスのライカ本社では、社員が食堂に集まってライブ配信を見守ったその頃ゾルムスのライカ本社では、社員が食堂に集まってライブ配信を見守った

このライカM9が人気を得たことで、会社は財政的にも大復活を遂げます。ゾルムス本社に虹が架かっている写真を見て“Mr .M”は、「これからライカが発展していく象徴のような光景」と振り返りました。

ライカM9発表前夜を振り返る“Mr. M”ライカM9発表前夜を振り返る“Mr. M”

後編では、ライカM9の成功から現在までのM型デジタルの進化、そして“Mr. M”が考える「なぜ今、Mなのか?」など、トークイベントの後半部分をお伝えします。

Photo by Makoto Suzuki