My Leica Story
ー 大杉隼平 Part 1 



ロンドンで写真とアートを学び、国内外で幅広い活動を続ける写真家 大杉隼平さん。ライカギャラリー京都にて写真展『I see this world with Leica』が2022年5月12日まで開催中です。展示された作品は、すべてライカで撮影されたもの。そこでライカと大杉さんとの関わりや、作品作りについてインタビューさせていただきました。

text:ガンダーラ井上

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特別にしつらえた和紙に作品をプリント

ーー本日は、お忙しいところありがとうございます。さっそくですがライカギャラリー京都での展示について、特にこだわったポイントについて教えてください。

「ライカギャラリー京都は、築100年を超える町屋建築の構造を生かした空間ということもあり、プリントに和紙を使ってみたいと思いました。これまでに写真を和紙に出力した例はあっても日本的なモチーフが多く、今回の作品のような海外を撮ったものはあまりないと思います」

ーーライカギャラリー京都は日本の歴史を感じさせる木造家屋で、独特な雰囲気ですよね。和紙を使うことで、ギャラリーの空間と展示された作品に一体感が出てきそうです。

京都の町屋、木造建築の2階にあるギャラリー


「阿波紙さんという四国の和紙屋さんに協力していただき、何種類もの素材の和紙で試し刷りをして一番きれいに出るものを見つけました。その紙の『耳』がついた状態が良かったので、展示でもそれ自体を残したいと思ったのです」

ーー『耳』って、抄いた紙の繊維の存在が感じられる、縁の部分ですか? 普通の額装だと額縁の内側にマットと呼ばれる厚紙があって、プリントの縁の部分は見えなくなりますよね。

「そうなんです。そこでライカカメラジャパンさんに相談して、額装の表面のアクリル板を外して展示しているんです」

――プリントと鑑賞者を隔てるものがない、生の状態なのですか!? これは必見ですね! 誰もが時節柄マスクをしているので、プリントが汚れるリスクも少なくていいですよね。

「そうですね。アクリル板をへだてずに直に見た方が和紙の風合いをより強く感じられるので直接プリントをご覧いただけるようにしたいと思いました。。ぜひ機会があればライカギャラリー京都まで足をお運びください」

和紙で出力された作品と大杉隼平さん


不確実な現在だからこそ、慈しむべき日常の光景

――今回の写真展タイトルは『I see this world with Leica』ですが、撮影をされた時期はいつ頃ですか?

「ニューヨークの写真はコロナの直前、日本でクルーズ船での感染が起きた頃です。2020年の年明けから2月頃にかけての写真が結構多いです」

――撮影場所はどのあたりでしょう。

「その時期に旅をする時間を持っていたこともあり、ニューヨークに加えてイギリスやフランスなど欧州での写真も多く展示作品に含まれています。そのような旅をする生活の中で、父親が亡くなりました。その時に思ったのは、ある日、誰かを失うというのは新しい時間の始まりなのだということ。そして、日常の生活がいかに大事かということでした。日常って意識して目を向けないと見えない部分があると思いますし、僕自身でも探したい景色でした。だからこそ、作り上げた写真ではなく、街中にある日常を撮っていきたいと強く感じたのがきっかけでした」

――日常のありがたさというテーマは、コロナ禍や昨今の世界情勢によって世界中の人々が身に染みて感じていることですね。

「何枚かの写真は、コロナのことを考えながら撮ったものもあります。『Look around nobody alive』(生きているものは誰もいない)という作品は、このメッセージを見つけたときにそうならないで欲しいという思いも込めて撮ったものです」

ファインダーの向こう側 ©Shumpei Ohsugi


――現在の世界の状況への予感もありつつということですね。

「コロナもそうですが、大切な人を失ってしまうことに対して、どのように向き合っていいのかなと考える時間でもありました。暗闇の中にともす光もあるのではないか、と。でも、どうやって前を向いて行ったらいいのだろうという葛藤もあったので、その部分を写せたらいいなと思いながら旅をしていました」


ライカを“手にすべき時”がくるまでの物語

――そのような思索と視覚の探究の旅に携えていったカメラがライカだったとのことですが、大杉さんがライカを意識したのはいつ頃のことでしょうか?

「僕は日本の写真専門学校に通った後に東南アジアへ長い旅をして帰国し、少しサラリーマンをしている時期を経て、英国の大学で写真のコースに入りました。日本ではこの絞り値でこう撮るなどの基礎は教えてくれますが、そのような学校の授業はあまり合わなかったのです。一方海外では、技術より発想力に重点が置かれたカリキュラムでした。一つのことから様々なものを見つけていける力を身につけていく面白い時間であり、こんなに自由に写真を撮っていいんだと思いました。ライカとは、その頃に出会いました」

――そこでライカを手にされたのですね。


 「ライカの存在を意識しただけで、まだ自分のものではなかったです。写真家としてのキャリアの初期にはファッションの撮影が多く、6×6のハッセルブラッドと、645のコンタックスがメインの機材で、35mm一眼レフではニコンも使っていました」

――確かに、ファッション系のビジュアル制作ということでしたら中判カメラを使われていたというのは納得できます。そこからライカに移られたのはなぜですか?

「大きな転機は、東日本大震災でした。NPOをやっていたこともあって救援物資を持って行ったことがきっかけで石巻や南相馬の方々と出会い、原発の20キロ圏内で撮影する機会を頂戴したのです」

――それは、ファッション系の世界とはまるで違う次元の撮影ですね。

「開催した写真展の売り上げで、被災地の子供達を夏に奄美大島に招待するという活動をしていて、そのとき南相馬市とのつながりができました。避難指示が出ていた20キロ圏内に許可を得て入る際、そこに暮らしていたお年寄りの方などに「家がどうなっているか見てきて」と言われたこともありました。そのときに撮るカメラとして、ライカを初めて買いました」


 ――そこでライカを選んだ理由は?

「まず、使ったことがなかったので使ってみたかったのですが、どのような機材が最善の選択かを考えるなかで、空気感を撮れるカメラが必要でした。原子力発電所の事故現場から20キロ圏内という、その場と向き合うにはライカしかないのではないかと思い、その時に買ったのがライカMPというフィルムカメラでした。ライカを手にして使ったのはそれが初めてです」

初めてのライカは、機械式のフィルム機だった

――2010年の当時でも、世の中はデジタルカメラが席巻していたと思います。そこであえてフルマニュアル操作のフィルムのライカなのですね。

「原発からの目に見えないものがある中、20キロ圏内には人の営みがない状態で、ただ空気だけが流れている静寂の世界でした。あんな静寂というものを味わったことがないくらいに静かで、クルマで一人で入ると怖いほどでした。そんな中でフィルムが空気を吸うということを考えた時、ライカを使ってみたくなったというのが一番のキッカケです」


 ――フィルムが空気を吸うとは、なにやら深遠なテーマに感じます。

「フィルムにしかないものがあると当時は思っていました。プリントするにしても現像するにしても水一つで結果が変わったりしますよね。アルプスを撮っているある海外の写真家が、フィルムと一緒にアルプスの水を持って帰って現像・プリントすることで初めてそこにアルプスの魂を吹き込むことができる、というようなことを書いている記事を読んだ記憶があり、その言葉が僕の中に残っていたのです」

――そこで初めてライカを使ったということですが、M型ライカはレンジファインダー式のカメラですから、それまで使っていた一眼レフタイプのカメラと違いますよね?

「はい、だいぶ違います。でも、それからライカを手放した日は1日もないのではないかというくらいです」

ライカは、最も多くの時間を共に過ごすカメラ


 ――大杉さんの心と身体にズバッとM型ライカが刺さったのですね! 何がそんなに響いたのでしょう?

「サイズ感というのももちろんあります。一口にM型ライカと言ってもライカM9かライカM10かによって全然違う部分もあるとは思います。でも、ライカにしかない何かが確実に存在していて、だからこそライカを一度使って以来、手放さなくなったのだと思います」

――ライカを手放さない日はないけれど、撮影の現場ではさまざまな制約が大きく、すべてをM型ライカでこなすのは難しいのではないかと想像します。

「以前は仕事の撮影の時はいろんなカメラを状況に応じて使うことはありましたが、今は99.9%、いや100%近いくらいM型ライカしか使っていないです」


 ――えぇ!本当ですか!? それは、いわゆるクライアントから依頼される仕事でもですか?

「すべてM型ライカですね」

――うわぁ、すごい。あえて簡単に済ませず、自分を追い込んでいくような精神性を感じます。そういう人を「ドM」と世の中の人は呼ぶと思うのですけれど‥。

「そうですね(笑)。オリンピックの水球選手をグアムで撮るとか、そんな撮影でも全部M型ライカでやりました」

――うーん、水球の撮影であれば1972年のミュンヘン五輪でもM型ライカではなく一眼レフのライカフレックスを使っていたと思うのですが、そこをあえてM型ライカで行くというのが本当にすごいですね。

すべての撮影をM型ライカで通す方法

「普通のやり方とは少しセオリーを変えて撮っている部分もあります。たとえばコンサートの撮影などではズームレンズを使わないといけないと考えるものですが、ゲネプロ(最終リハーサル)のタイミングなどにステージで動き回ってM型ライカで撮らせてもらえないかと確認してもらうなど、可能なことを考えていくと結構M型ライカでできてしまうのです。地方での撮影が多いこともあり、システムをコンパクトにまとめられるので今は100%ライカ3台を持ってやっています」

現在フル稼働中の愛機3台


――デジタルのM型ライカ2台をスタメンにして、スーパーサブにライカSLを加えたセットですね。

「夜の星空を撮る時や、料理を撮る時にライカSLを使うこともあります。ライカSLとM型ライカは全然違うタイプのカメラなので、状況によって使い分けています」

――Mシステムの大口径レンズ、例えばノクティルックスM f0.95/50mm ASPH.をライカSLに付けてピントを追い込んで撮ることなどもありますか?

「ノクティルクスに限らず、Mシステムの単焦点レンズをライカSLにつけて使っています。Lマウントのズームレンズよりも、アダプタを介してMシステムのレンズを使うことの方が多いですね」

ライカM (Typ 240)への熱愛

――今お使いのM型ライカは、ライカM (Typ 240)ですか?

「そうです。ここにあるTyp 240は、実は6台目です。ライカさんには申し訳ないくらいガツガツ使っています」

――ブラックボディのペイントも剥がれて地金が見えているような。


 「だから、『これはアンティークですか?』って聞かれるのですが、決して古いカメラではないんですよね」

――とはいえ、アマチュアの人が30年間くらい使い続けたような雰囲気ですね。

「決まり切った中での撮影でない場合が多く、もちろん雨の中でも使いますし、結構ガツガツ行ってしまうので、そういう意味ではかなり手荒く使わせていただいています」

――6台というのは、使いすぎて修理不能になったということですか?

「かなり使い倒してしまった時点で買い替えています」

――ちなみに、M型ライカのデジタル機の遍歴を教えてください。

「デジタルはライカM9からスタートして、ずっと使っていました。その後ライカM (Typ 240)を使って、その後にライカM10-Pも買ったのですが、ライカを使っている中でTyp240が自分自身にすごく合っているように感じています。それで今もライカM (Typ 240)を2台必ず持ち歩いている感じです」

色違いの同機種2台を持ち歩く理由

――現在フル稼働しているのは、ライカM-P(Typ 240)シルバーとブラックですね。


 「あえて2台の色を変えていて、例えば海外での撮影で、すぐに撮りたくなっても2台ブラックだと50mmと35mmのレンズがどちらのボディに装着してあるのか即座に分からなくなることがあります。そこで、レンズの焦点距離とボディカラーを決めておけばパッと出してすぐに撮れます」

――ここは35mmだと思ったら、すぐにシルバーのボディを出せ!みたいな感じですね。

「そうなんです。それであえて違う色のボディを使っています。レンズは色々と持っていて使い分けていていますが、メインになる画角は50mmと35mmです」

――ブラックには50mmでシルバーには35mmという感じで決めているのですね。

「そうですね。バックアップの意味だけでなく、レンズを換える時間がいらないので、どこに行くにも2台は絶対に必要だと思っています」

――確かに、撮りたいと思ってからレンズを交換していたら間に合わないですよね。

「街中で歩いてくる人たちを待ったりするときもそうですが、あ、ここで撮りたいという時が急に来たりもするので。そうするとレンズはなるべく換えることなく撮れたらいいなと思っています」

――これは、同じカメラを2台買うことに悩んでいる人々に正当な理由を明示していただける金言ですね(笑)。それでは、いよいよ展示中の作品をどのようにライカで撮られたかを教えていただいたいのですが、まだ大丈夫でしょうか?

「もちろん大丈夫です。続けましょう」

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Photo By K



写真展 概要

作家 :大杉隼平
タイトル:I see this world with Leica
会場:ライカギャラリー京都(ライカ京都店2F)
住所:京都市東山区祇園町南側570-120 Tel. 075-532-0320
期間:2022年2月5日(土) - 5月12日(木)*月曜定休
展示内容:ライカを通じて世界の街角で出会った風景や人々を捉えた作品15点


大杉隼平
1982年東京生まれ。ロンドンで写真とアートを学ぶ。 現在、雑誌やTV、広告、カタログなどで活動する傍ら、約200人の国内外の役者の宣材写真やアーティスト写真を手掛け、様々なブランドとのコラボレーション、国内外の企業の撮影と活動は多岐に渡る。また、 CP+主催の「THE EDITORS PHOTO AWARD ZOOMS JAPAN 2020」では一般投票 で最多票を獲得しパブリック賞を受賞。 https://shumpei-ohsugi.com/